2006年10月16日
本:ヤマネ日記
ヤマネ日記 西村豊写真集 講談社
やまねミュージアムでみかけて、つい手に取ってしまったら、放せなくなった本。
写真がどれもかわいいのもさることながら、文章はきちんとやまねを解説し、それでいて写真の邪魔をしない。見た目のかわいらしさに捕らわれず、その生態をまもろうという気持ちにあふれている。読んで眺めて、ますますやまねが好きになる。
32ページの、8月下旬の写真が、かなりツボにはいりましたよw
こどもやまねの写真や、冬眠中の姿などなど、一般人にはなかなかお目にかかれない姿がたくさんたくさんで、ただぼーっと見ているだけでもしあわせになれる。
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2006年10月13日
本:天使のみつけかた
読むたび、少しずつ違う感想や気持ちを持つことができる。
そのときの気持ちによって、泣けてきたりほんわかしたり。
それはきっと、そのときどきによって、
そばにいる天使が違うからなんだと思う。
日々のいろいろに翻弄されて途方に暮れているときに、ほっとできる一冊。
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2006年08月21日
本:よみかけ
ブレイブ・ストーリーを読みはじめて、ものがたり半ば。
宮部みゆきというひとの、明るくて楽しい方の作風なのかなーと漠然と思っていたのだが。
が。
これをこのままスニーカー文庫(子供向け文庫…ていうのかな)で、ルビふって出す角○文庫の真意がわかりませんよ。。。 最後まで読めばその意味もわかるのかなぁ。視点が 11歳になってるからおけーって判断。てほど短絡ではないと思うのだけれども。
映画は、これが2時間なのだから、この重いところがぐっと薄いんじゃないかと思ってみたりする。上巻をマジメにやったらファンタジーなしで2時間なんてあっという間だーよぅ。
幻界(ヴィジョン)で、石の赤ちゃんに追われた直前のくだりで、若干脱落気味のワタクシ…。
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2006年08月17日
新潮文庫の100冊
今の愛読書。
“新潮文庫の100冊”に選ばれている文庫ではなくて、“新潮文庫の100冊”という小冊子が。
今年の冊子を見つけて、もらって帰ってから、何度も見直している。去年のとちょっと違う顔ぶれ。読んだことのある本を思い返したり、読んだことのない本を妄想してみたり。
そもそも文庫を購入するときに、裏表紙に書いてある「あらすじ」を読むこともほとんどないし、帯もあらすじもいまいち…なんて思っちゃうことが多いのに、なぜかこの冊子は毎年部屋の中を持ち歩いては、ちょっとしたときに眺めてたのしんでいる。
十五少年漂流記でどきどきわくわくした10代前半。
蝿の王でものすごい衝撃を受けた10代後半。。。。
なんてことも思い出す。
毎年、この冊子を見ながら、読んでみたいと思っているだけの本もある。
実際に書店に行ったときには、その場で目が合ったものを購入してしまうクセが、どうにも治らない。
今月は、古書でエッセイや実用書系統のもの。文庫で、実用書(なのかな)とものがたりとエッセイを、とろとろと読んでいる。読みかけの本がたくさんたくさん。そしてそのなかに新潮社の本は …あったかな。。
初めて見た、新潮文庫の100冊 の、関連サイト
100冊ビューワー 新潮文庫の100冊
立ち読みも出来ちゃう。
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2006年07月31日
本
阿寒に果つ 渡辺淳一(角川文庫)
なぜか本棚にあったので読んでみた(おそらく 5年ほど前に実家から借りてきたものと思われる)。
タイトルと作者だけ認識していた。
いま具体的な感想は書きたくないけれど、読んだことは書き留めておきたい一冊。
愛する言葉 岡本太郎 岡本俊子 (イースト・プレス)
ものすごく平たく言ってしまうと、両者のことば/発言を集めたもの。敏子さんがより前面に出てきている感じがする。
自分が紆余曲折の中で何を失ったかをつくづく思い知らされた。
そもそもの考え方が違うから全部を受け入れることはとてもできないけれど、読み返すたびに何かが見つかるかもしれないとも思う。
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2006年07月10日
本:あかね空
山本一力 (文藝春秋)
ひさーしぶりの時代小説。借りた本。
今までは、事件なり何なりのできごとを扱った物語を多く読んでいた。
これは違う。京から江戸へ単身下ってきた豆腐職人と、その子供たちやその周りの生き様のものがたり。
越してきた長屋での暮らしや折り合い。そもそも上方と江戸では豆腐そのものが違うという大きな壁。まわりを取り囲むひとびと。暮らしや思いが交錯し、一方で、成長や環境の変化によって変わっていく主要人物や、家族や夫婦、兄弟さえもわかりあえないもどかしさが募る。
人情時代小説というものになるらしい。賞には疎いせいもあって、直木賞受賞作であることも知らなかった。おそらく自分自身では手に取らなかった本。紹介してもらって感謝している。夜中に手に取ったにも関わらず、一気に読んだ。
中盤、家族にしろ取り巻く策略にしろ、どろどろとした面も出てくる。個々人に視点を移すことで、それぞれが何を思ってどのように生きていたのか、どのような誤解があったのか、徐々に見えてくる。
読後は泣けて泣けて仕方なかった。
勘違いや誤解を残したままで死んで、取りなしてくれるひとがいるとは限らない。いつ死ぬのが判らないのが人生でもある。大事なひとを大事にして、素直に生きていくに越したことはないと思う。
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2006年06月27日
本:夜明けのメイジー
ジャクリーン・ウィンスピア (ハヤカワミステリ文庫)
借りた本。
舞台は 20世紀初頭のイギリス。第一次世界大戦が終ってから 12年ほど。いまよりもずっと「階級」が幅をきかせている時代。
メイジーは、ロンドンで探偵事務所を開く。そこへ最初に来たのは浮気の依頼調査。ありきたりすぎる依頼ではあるものの、メイジーはその裏の裏まで進んでいく…。
主人公のメイジーは、子供のころはメイド。そこで才能を見いだされて教育を受け、学生になり、戦争がはじまってからは休学して看護婦になって戦地へ派遣される。そんな人生を経て、ロンドンでの探偵事務所開業になる。物語は戦争の影響の色濃い、人々の生活の中にある。
探偵小説でありながら、それだけでない。メイジーの生い立ちを追う中には、人生や行き方について考え込むような台詞や場面がいくつもある。
悲惨で陰惨な戦争。ー戦争で亡くなったひとやその家族、体の自由や外観を奪われたひと、自分をなくしたひとのこと…。たくさんの傷や傷跡を持つひとたちのことまで思わずにはいられない。
うまく書けないのだけど。
ゆっくり考えたいのにやめられなくて、ほとんど一気に読んでしまった。
現在もう一度〜の、斜め読み中。
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2006年06月26日
本:怪盗ニック登場(他2冊:シリーズ)
エドワード・D. ホック (ハヤカワミステリ文庫)
「怪盗ニックを盗め」
「怪盗ニックの事件簿」
の3冊。短編集。(借りた本)
ニック・ヴェルヴェットの「仕事」は盗み。自分のための盗みではない。報酬は2万ドル。依頼を承諾するのは、対象が価値のないものに限る。もちろん現金や宝石その他の値の張るものはお断り。
仕事の依頼は不意に舞い込んでくる。その対象は、変わったものもあれば、ありきたりすぎるようなものも。ただし、2万ドルの報酬を払うとなると、依頼主はやっぱり何か思うところがあるわけで…。
依頼の裏には裏があることも。依頼を受ける泥棒だからこそ事件のど真ん中にいるハメになってしまうニックは、「報酬が無事支払われるか」と、自分自身が裏をかかれないように(かかれることもあるんだけど)、依頼について考えをめぐらせる。ニックそれじゃ探偵業もきっとできるよってお手並みも見せてくれる。短編それぞれが、冒険小説のようだったり、古典的推理小説のようだったり、いろいろな味付けが楽しめる。主人公が泥棒稼業ということで、暴力沙汰やすれすれに巻き込まれることもあるけれど、いやな気分になるような書き方はされてないから安心して読める。
盗みそのものばかりではなく、仕事に付随する事件や人間性も見えてくるのが面白い。報酬の支払いにこだわっているかと思うと、人情味あふれる判断をしたりするニックも魅力的。
ところでこの主人公、同居の“恋人”グロリアには仕事内容はずーっと伏せたままだった。それ以外についてはニックはグロリアに忠実だったからこそ、 …… ごほごほごほ。
いやぁ、なかなかいい感じですょ。
訳に慣れるまで、1冊目の1作目の序盤を何度か読んでいたが、慣れたら、体調不良〜とか言いつつも、 3冊一気に読んでしまった。このシリーズは翻訳されてない作品がまだまだあるらしい。翻訳されないかなーっ。
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2006年06月16日
風邪。
風邪を引く。
そうすると、のどがいがらっぽくなる。このときはウイルスが体内で増殖中。インターフェロンが出て、粘膜が反応している。
次に熱が出てくる。NK細胞やマクロファージが働いてる。マクロファージからインターロイキン1が出て、脳視床下部にある発熱中枢を刺激して発熱。一方ではT細胞が増殖中。この過程に2〜3日かかるとか。
T細胞が分裂を始めると、インターロイキンやサイトカインやヒスタミンが分泌される。(サイトカインやヒスタミンは、刺激伝達物質で、くしゃみやはなが出たり、体がだるくなったりするモトになる)
サイトカインによってキラー T細胞が出てきて、ウイルスに感染している細胞を殺していく。
ちょうどそのころ、インターロイキンによって B細胞が活性化し、IgG を作るように変化する。
ウイルス感染から IgG が充分にできて、体が楽になってくるまで、一週間くらいかかるそうな。
要するに、風邪薬は症状を緩和するだけで、風邪そのものは自分の免疫で治すってーことですょ。
今読んでるのは、「免疫学個人授業(新潮文庫)」。
風邪を引いたらどうなるかという内容を読んだ直後に、自分が風邪を引いてしまったわけで、ぽやけた頭で何度かここを繰り返し読んだ。最近の二次感染を起こしたらこじれるのは同じなんだろうけれど、その辺は言及されていなかったり、ちょと昔の本だからか、抗ウイルス剤の話は出てこなかったり。
いやこれは風邪の本じゃないから、風邪についてはほんのちょっとしか触れてないわけだけれど。
自己と非自己の区別などなど、面白いことも満載だったりするのですょ。
それはさておき、さっさと治さないとなぁ。はやいとこ IgG に登場していただきたくー。
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2006年06月05日
本:国家の品格
藤原正彦 (新潮新書)
日本は元来品格のある国であった。それは、情緒と形の文明があり、国民が武士道精神に溢れていたからである。…というようなことが主旨。詳しくは表紙カバーの折り込み部分でも参照してください。
売れてるらしぃから、そんなことはご存じのひとの方が多いのだろうか(私は知らずに読みはじめてしまったが〜
さて。
今の日本でこの本がベストセラーになるのはいいことなのかもしれないと思う。戦後、GHQにより、日本人は日本人としての誇りを感じないように教育されてきたのではないかと思っている自分としては、なかなか面白い内容だった。
ただし、著者本人が断っているように、飽くまでも個人の意見なのである。講演内容がもとになっているだけあって、語りかけてくる印象。
内容の中は、極端なものもあるし、極論に過ぎないものや、物事を一面からしか見ずに語っている部分も散見される(意図して書かれているものかどうかはわからない)。
それでも、論理や合理性を追及する根本的な考え方の落とし穴だとか、「平等」「自由」などに対する考え方だとか、国際人とは何かとか、挙げていけばキリがないほど、目からうろこ的な発言も多い。
こういう意見もあるのだ。という余裕を持って読めるなら、お勧めな一冊だと思う。
読んでみて損はないし、新しい発見があるんじゃないかなぁ。って感じでお勧めしてみる。
そして今もし日本人であることに自信も誇りも持てないでいるひとがいたら、違う意味での一読をお勧めする。
(タイトルから連想するような小難しい感じではなくて、へーとかほーとかそれはちょっと〜などと思いながら、さっくり読み切れる。
そぅそぅ。この本で、「惻隠」という言葉を知りました。…教養がないもんでー。
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2006年06月01日
本:ダ・ヴィンチ・コード
ダン・ブラウン (角川文庫)
流行と好奇心に負けて読みはじめ、ジェットコースターのような展開で、なかなかやめられず。
面白かった。でも、そんなにものすごく「特別」じゃない。
主演のふたりには興味はあるけど、映画は観に行かない。自分がこの小説に感じた面白さは、2時間強程度の映画で満喫できるとは思えない。
私のお脳力が低下してるときに読んだからなのかな。
でもやっぱり、ふつーに「展開が早くて謎解きも面白い、アメリカの推理小説」て印象なのは変わらない。って思う。
謎まわりについては、各メディアがこぞって大騒ぎしているもんだから、もっとダ・ヴィンチや信仰に関わるものかと思っていた。謎そのものは信仰に関わるけれど、謎解きはそうでもない。殺された館長が残した謎を解いていく間に、この小説でいうところの「キリスト教の真実」が語られる感じ。
増して自分自身は信者じゃないし、キリスト教にもカトリックにもその他諸々にも造詣が深いわけではないから(むしろ浅すぎ)、特別な感情を持つこともない。その謎が真実でも真実じゃなくても、痛くもかゆくもないから、普通の推理小説として読んでしまう。単純に展開が面白い。キリスト教や歴史的美術品の知識が面白い。
個人的な好みもあるんだろうけれど、ジェットコースター的展開のままずがんと終わればもっと自分的な評価は高かった気がする。最後の最後で「あー そうですか〜…」な感じに(そういうラストが嫌いなわけじゃないけど、謎を追い求めた果てのラストが見え透いてるのは違和感が)。
あちこちのメディアが大騒ぎするのは、お話の内容ではなくて、宗教的な何かが隠されているからなんじゃ〜…なんて勘ぐってみたり。特にキリスト教の影響が低い日本国内でこれだけ騒がれるのがわからない。これはカドカワだからなのかと思ってみたり。
カトリックのひとたちは、何を思うんだろう。って思う。カトリックってひと括りにもできないような気もするし、その辺りは想像もつかない。
副読本みたいなものもたくさん出ているようだけれど、ダ・ヴィンチ・コードという小説についてではなくて、ダ・ヴィンチの作品に何かが隠されているなら、もっと知りたいかなぁ。
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2006年05月21日
本:うまくやるための強化の原理
カレン・プライア著 (二瓶社)
「犬語の世界へようこそ!」とともにパップスフレンズで購入。
著者は、生物学博士。ハワイの海洋水族館シーライフパーク創立者のひとり。
クリッカーを用いたイルカの訓練をはじめ、多種の動物トレーナーでもある。
犬のしつけや問題行動、行動療法を学んでいると、「強化」ということばは必ず出てくる。
強化をどのように使うことで、望む行動を引き起こすか。シェイピングとは何か、刺激制御のやり方、考え方などなど、たくさんのヒントに溢れている。また、望ましくない行動をどのようにやめさせるかという、犬と暮らしはじめるととても悩まされる問題についても、たくさんの方法とその考え方、組み合わせ方などが解説されている。また、対象は犬に限らず、人間にも応用できる。
最初は、仕事に使えないかという観点で読みはじめた。
読みはじめてしばらくして、自分自身に応用できるのではないかと思いはじめた。もっと読んでいるうちに、自分が意識せずに行っている行動が、自分をコントロールするための方法だということを理解した。取り入れることが可能だろうと思っている。自分の環境のコントロールはそうそううまくはいかないだろうけれど、知識として持っているのと持っていないのでは大きく違うと思う。
全面的に賛同できたわけではないが、仕事に使うというだけでなく、日常の指南本としてこの本を考えている。
「頭のいい人、悪い人の話し方」なんて本より、こちらがブレイクするべきではなかったろうかと思う。
…ただ、行動学の用語を全く知らないひとには、この本はちょっと読みづらいものかもしれない。
この本の主旨からはずれるかもしれないが、第5章 実社会における強化 での「動物界における強化」では、鳥肌が立つほど興奮した。言いたいことを伝える術を持てば、人間に言いたいことを伝えてくるいきものは、人間だけではないのだ。
行動分析や犬猫のしつけの根本に興味のあるひとにはお勧め。
裏表紙をよくよく見たら、訳者のひとりが、学生時代に動物心理学を習った先生であった(多分)。どっかで見たことのあるようなお名前だと思ったら。あらあら。
この本、うみとの関係をよりよくするには、今から役に立つと思う。
それにしても、自分の強化は。難しいだろうなぁ。
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本:犬語の世界へようこそ! カーミング・シグナル
トゥリッド・ルーガス著 テリー・ライアン監修
犬のトレーニングの勉強をしていた友人から借りた本。
…を、ようやく入手した。
ひとことで言うなら、犬と関わるひと全てが、読まなくてはならない本。だと思う。
犬と暮らしているなら、犬と仲よくなりたいなら、犬が何を言ってるかもっと理解したければ。ぜひぜひ、読んでください。
さて。
カーミング・シグナルというのは、犬同士が「健全な社会階級の維持および集団内の対立回避のために活用している」ボディランゲージのことだ。
読めば、犬と接しているひとなら、目にした行動が必ず出てくる。
例えば、「来い」と何度も厳しく言っているにも関わらず、辺りの匂いを嗅いでいるばかりでなかなか近寄ってこない。怒れば怒るほど、犬の動作は緩慢になり、こちらをばかにしているように見える。腹が立つ。
なんてことになったことはないだろうか。
でも。
決して犬は人間をばかにしているのでもなんでもない。あなたが怒っているから、冷静さを取り戻してもらうためのシグナルを一所懸命送ってきている。それでもますます怒りはじめるから、わけがわからず戸惑っている。
自分の犬が、言うことをきかないと言う前に、その子が何を自分に伝えようとしているか、知ることも重要ではないか。
相互理解があれば、信頼も早く築けるし、犬の出すサインで、何を伝えようとしているかわかることもある。しつけももちろん重要だが、カーミング・シグナルも、犬と一緒に暮らす上では欠かせないと私は思う。
一般の本ではないので、販売しているところを探していた。
パップスフレンズ (PUPS FRIENDS)
トップ → トレーニンググッズ販売 → 書籍/ビデオ
(ページの一番下。カーミング・シグナルのビデオの販売も)
メールで注文。すぐにお返事をいただけます。
本もすぐに送ってくださいました。
こちらの代表ご本人は、犬のトレーニングに携わる傍ら、外国人講師が来日しての公演の際の通訳もされている方です。
余談〜。
地面を嗅いだり、動きが緩慢になるシグナルは、特に動物病院の入り口(もしくは診察室の入り口)でよく見られます。
普段は聞き分けがいい子なのに、このときばかりはオーナーに呼ばれてもそばに来ません。動物病院を怖いところだと思っているならなおさらで、そんな怖いところから「来い」と呼ばれたら、不安にならないわけがない。くんくん。とろとろ。
動物病院の入り口で、犬がそういう行動を見せても、くれぐれも叱ったりしないでください。さらに不安を煽って逆効果になるだけなので。もし急いでいる場合、危険でなくて、可能であれば、抱き上げちゃった方が早いかと思います。
さらに余談。
診察台の上で怖がってじたばたしたり慌てたりしている犬を、叱りつけないで! 大声を出したりもしないでください。犬を怖がらせる以外に大して役に立ちません。(獣医にとっては仕事の邪魔でもあります)
診察台に乗っていられることをほめ、優しい声をかけてなでてあげてください。
ただし、怖さのあまりオーナーに登っていくわんこや、パニックになって大暴れするわんこに関しては、オーナーに診察台から離れていただくことも多々あります。
もっと余談w
パップスフレンズで、本とビデオを購入したときに、訓練用のクリッカーをおまけでいただきました。
折しも、「ねこのきもち」のおまけ新聞では、藤井先生が、クリッカーを用いた自宅ねこの訓練を紹介している。うみさんにも何かを教えてみようかしら。まずはクリッカーの意味から。かなぁ。
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2006年04月11日
本:神様のボート
神様のボート 江國香織 (新潮文庫)
緩い物語が読みたいと思って手に取った。
骨ごと溶けるような恋をしたママー葉子と、その恋の結果生まれた、草子。
あのひとーパパとの、「必ず探し出す」という約束にすがって生きるママ。一方、かつての夫ー草子にとっては義理の父である桃井先生の、「東京を出ていってくれないか」という言葉に縛られて、各地を転々とする。あのひとのいない場所になじむわけにはいかない。神様のボートに乗ってしまったから。
視点は母娘を行き来しながら、それぞれの一人称で語られる。
その生活を続けている間も、草子は成長する。小学生から、高校生へと。
ママの想いは変わらないまま、生活は変わらないまま。でも、草子は育っていく。変化をしないわけにはいかない。
作者に、狂気の物語と言わしめている一冊だけれども、葉子の気持ちと行動は理解できないわけではない …と思う。物語の最後の最後に触れずに、思ったことを書くのは非常に難しいのだけれども、少なくとも自分にとっては、狂気のものがたりでは、なかった。それでも、 作者の思うつぼにはまってしまった。結末に向かって流れはじめるあたりから、もう目が離せなかった。
緩い物語を読みたいと思って手に取ったのに。
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2006年03月16日
本:一日江戸人
一日江戸人 杉浦日向子 (新潮文庫)
江戸時代や時代劇にちょっとでも興味があるなら、とてもとても興味深く読める本。
著者は文章も絵も達者なので、読みやすい上にわかりやすく面白い。
入門、初級、中級、上級と章わけされ、その中でもテーマがあるので、ちょこちょこと読むにも都合がいい。
江戸人の暮らし、考え、習慣、流行その他が、ものすごく活き活きと描かれている。著者がこの時代とそこに生きるひとびとをどれだけ好きかということが伝わってくる上に、読んでいるうちに、その気持ちが感染してしまう(笑)
時代劇を見ているだけでは思いもよらない。ばかばかしいことが大好きで、とてつもなくその日暮らしな江戸に思いを馳せながら、通や粋について考えてみるのも乙なものかもしれない。
面白かったよーっ。
……。
表紙がわかるからいいかな。と思って、amazonのリンクを使ってみたのだが。
うーん。今後も使い続けるかどうかは考え中。
今まではテキストリンクでした。
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2006年02月14日
本:東京タワー オカンとボクと、時々、オトン
東京タワー オカンとボクと、時々、オトン
リリー・フランキー 扶桑社
最初のページを、何度か読んだ。
そこでつまずいたからだ。
それでも、そこからはすんなり入り込んでいった。
後半は、抜け出すことが困難になっていた。
中盤までは著者の自叙伝なのだが。
読み終わるころには、亡くなったオカンに捧げた本なのだと感じていた。
少なくとも、自叙伝ではなかった。
父親と、“ボク”と、母親の。ちいさいかもしれないけれど、決してちいさくは感じられない物語だった。
生きること、死ぬこと。
家族がそれぞれを思うこと。気持ちの変化。結びつき。
そして何より、オカンのひととなりと、子供への思い。
子供の、親への思い。
多くは語りたくない。
思うことはあるけれど、内容を語ることにもなるから。
書き留めておきたいことばが、あちこちにある。
思うのは。
いまこの本を読んで感じることと、たとえば、5年後10年後に読んで感じることは、違ってくるんじゃないだろうかということだった。
死が近づけば。家族の中での立場が変われば。
恐らく違った読み方感じ方をするのだろう。
大事なひとがいる、すべてのひとに。
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2005年10月20日
本:さおだけ屋はなぜ潰れないのか?
さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学
山田真哉 (光文社新書)
さおだけ屋はなぜ潰れないのか? ってータイトルが妙に目につきますょ。そう言われてみればどうしてなんだろう? と、近寄ってよく見たら、会計学って書いてある。「会計学」?! ひえぇぇ。(お金も数字も苦手にがてーっ)
ということで敬遠していたものの。
やっぱり、どうしてさおだけ屋が潰れないのか、気になるじゃないですか。
てなことで、タイトルに負けて購入。
会計についてまるっきり知識がない自分にも面白く読める本。というか、会計についてまるっきり知識がないひとを読者として想定して書かれているので、その点では読みやすい。自分の中にはない発想があちこちにあったり、個人の生活ではどういう考え方をするといいよってヒントがあったり。会計ということばだけで激しく敬遠していたのだけれど、ちょと興味をひかれた。
とことんわかりやすく。例をあげてさらにわかりやすく。
売れてるってーのが、自分としては納得できた本でしたょ。
さおだけ屋が潰れない理由を知りたかっただけにも関わらず、他の項目も楽しく読めちゃったから、とてもとてもお得な気分になりましたよー(笑)
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2005年10月13日
本:間取りの手帖
間取りの手帖 佐藤和歌子 (リトル・モア)
何年か前に流行っていたのではなかったろうか。
続編が出たらしく、新しいのとこの本が、並んで平積みになっていた。通りすがりに見つけて、ちょっとにやけながら購入。間取り好きなもので、話題になっていた当時は気になりながらも、購入を迷っているうちに、存在を忘れていたのだった(余談だが、最近何もかも忘れるようになってきた気がしてしょーがない)。
正直言って、内容と紙質からして、この価格は高い。
でも、多分、部数が出ないという予測の元につくられたのではないかと思ってみた(余計なお世話)。
文章は非常に少ない。変な間取りと、ひとことコメント。そしてコラム。
コラムはどれも短め。中にはなかなか面白いものもある。
とはいえ、やっぱし文章ページが少ないもんで、ふつうに眺めていると、あっという間に読み終わってしまう。
そんなこんななんだけど、取り上げられている変な間取りを見直してはにやにやしてみたり、そこでの暮らしを妄想してみたりするのが面白い。文章/文字的には物足りないけれど、手にする回数は非常に多い分、ひょっとしたらお得な本なのかしらと思い直してみたりもする。
続編は。縁があったらまた目に入るのだろうと思う。
これがとても面白い! というわけでもなかったというのがビミョーなところ。
自分としては面白かったけど、間取りで妄想できないひとにはあまりお勧めできません…
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2005年10月09日
本:生きて死ぬ智慧
生きて死ぬ智慧
柳澤 桂子 (著), 堀 文子 (イラスト) (小学館)
メディアで取り上げられていたのを母親が見かけたらしく、ぼんやりとしたキーワードから探し当てた本なのでした。
生命科学者であり、30年以上も病人である著者が、般若心経を化学的に解釈した本。この病気で、一ヶ月に2週間しか動けず、研究を諦めざるを得なくなったとのことです。長らく原因不明で、医者からは長らく心因性のものだと言われ続け、故に家族からも責められ、自分で自身を責めて生きてきたのだそうです。その後原因がわかり治療がはじまったものの、他の病気も見つかって、現在再び治療中なのだそうです。
著者は現在、60代後半に足がかかったところで、私の母親と同世代になります。
般若心経の解釈は、特に細部に至っては、研究者によってもそれぞれなようです。この著者は科学者の目から解釈をします。原子を起点としたものの捉え方は、常人にはなかなか理解し難いものがありますが、このような考え方もあるのだという参考になります。
作りは絵本のようであり、後半にある般若心経そのものとそのままの解釈も合わせて、ただ読むだけならあっという間に読めてしまいます。
私自身は全く別のひとが書いた般若心経の本をぼけぼけと少しずつ読み進めていたところだったので、ワンクッションあったような感覚ですが、それでもこの本はさらりと読み流せるものではないのです。この本が般若心経の解釈との初めての出会いで、読むことでのインプットだけを求めるひとには、とてもとても物足りない本なのではないかと思います。
そういう内容ではないのですが、「空」を科学的に考えることも可能である という解釈の一端を、とても面白く感じました。
なんのこっちゃと思われる向きには、あとがきを一読してみることをお勧めします。
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本:訊く
訊く
中島らも(講談社文庫)
精神科の達人(吉野祥一)
漢方の達人(田中良宣)
気功の達人(李敬烈)
毒の達人(山崎幹夫)
広告の達人(西久保弘光)
ゲイパワーの達人(平野広朗)
旅の達人(久路流平)
サックスの達人(古谷充)
釣りの達人(毛利俊博)
ハサミの達人(三谷憲太郎)
断酒の達人(阿部登)
プロレスの達人(安達勝治)
…の、それぞれとの対談。
ひとつひとつは短いが、個々人の専門や専門ではない、意外な話と次々と飛び出してきて面白い。らもさんが合うと感じるひとたちだけあって、ひとくせもふたくせもあったり、達人と言われる世界からはみでた生業を持っていたり、患者としてのらもさんと接点があったりする。
(らもさんは、コピーライターでありながら、演劇を作ったり小説を書いたりロックをしたりなんだかんだをしながら、アル中であったりうつ病であったりと忙しいひとだった)
古本屋でなんとなく手に取った一冊だけれど、充分面白かったですょ。
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2005年09月28日
本:ボクの音楽武者修行
ボクの音楽武者修行 小澤征爾 (新潮文庫)
小澤征爾というひとを知らないひとはあんましいないと思う。
これは彼が20代でフランスに渡ってから3年間を振り返って書かれている。(あとがきは昭和37年に書かれている)。貨物船にスクーターとともに乗り込んで、単身フランスに渡ったということは、何かで読んで知っていた。そのことに興味はあったけれど、そのまま放置していたので、詳細についてはまるで知らないままだった。
新潮文庫の100冊の小冊子で、ちょうど興味のある時分の話が、文庫で出ていることを知った。
あぁラッキー♪
ひとがら、家族への思い、ヨーロッパの環境、音楽、著者自身の音楽観、日本への思いなどなど、読みどころはたくさんある。とんとん拍子に見える成功も、読んでいて気持ちいい。
できれば、このあとの出来事も読んでみたいのだが、どうやらその後を本人によって書かれたものはなさそうだ。
音楽に対してのうんちくも何もない私にも楽しめました。ということで。
解説まで、びっちり充実していた。このようなひとが大成するのか、と、解説を読んで改めて思ったりしたのだった。
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2005年09月20日
本:海馬-脳は疲れない
池谷裕二、糸井重里 (新潮文庫)
脳神経学者の池谷博士(とはいえ、私と同じトシ…)と、糸井氏との対談。
実を言うと、糸井重里というひとのことはかなりどうでもいい。どちらかというとテレビ画面に出てくるこのひとは苦手な部類だったりもする。ので、一昔前にこの本が話題になってたときは、気になりながらも手が伸びなかった。(や、でも、なんだかんだ言いながら、このひとが関わっている本でコーフンしたこともあるんだけど)
なかなか面白くてタメになること多数。なにより、わかりやすい。理解のための図形も多用されているし、池谷氏が用いる例えも非常に身近なもの。脳に興味を持つきっかけになるし、この本をざっと読んだだけでも充分に面白い。
だってさ、ハタチから脳細胞が多数死んでいくって話は知ってたけど、仕事を失敗した脳細胞が選択されて死んでいるなんてこと、知らなかったょ。
もてはやされていたのは、みそじになってから脳の活動が飛躍的に向上するってー話があるからじゃないかなって勘ぐりもする(笑)。脳や自分の意識をうまくコントロールする(うまく思い込む)方法もあるから、騙されたつもりで実践してみてもいいかもーなんて思う。騙されたつもり〜でも、真剣に人生が変わるひとだっているかもしれない。九九ができないまま育ち、東大を首席で入学しちゃうひとの考え方を覗いてみるなんて切り口も面白い。
もうひとつ。だれか(主に子供)の「伸びる能力」をストップさせるのは、他人(大人)の何気ない言葉なんじゃないかと強く思った。ちょうど、「ことば」を口にしたり形にしたりすることの影響力を考えていたころだったから、妙に気持ちに残ったのかもしれないけれど。
読んでて面白くなって妙にコーフンして、身近なひとに押し付けるようにして貸し出してしまった。でも(本文中にも出てくるけど)、同じものを見ても、受け手によってインプットされてくるものはまるっきり違ってくるわけで。
ま、そんなわけで、面白くなかったらごめんねー(笑)
つるっと読めてしまう本なので、ちょと興味がある向きにはお勧めでございまふ。
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2005年09月06日
本:いつかパラソルの下で
森絵都 (角川書店)
借りた本。
中途半端なきずなの家族が、父親の死に関連して発覚したできごとをきっかけに、崩壊するかに見えて、拍子抜けするほどあっけなくハッピーエンドに収束する。あっけなく思えたのは、キーワードが暗いせいかもしれない。
読み終わったときには、素直に、身内も含めて自分の大好きなひとたちに会いたいと思った。そんな読後感。
一方で、幼少時から、かなりの規制や抑圧を実際に受けて育った場合、こうなるものなんかなと思ったりもした。
でも、「おにーちゃん」が浴びたという罵声にはかなり共感する。自分の中の不自由を、親も含めただれかのせいにしてはいけない。
まぁ自分なんてーのはミソジなもので、ミソジになってからの顔(=表情)は自分の責任って言うしなぁ。もぅなにもかも自分の責任ってーのがかえって重いというかなんとゆ〜か(脱線)。
……達郎さんのおとーさんは、今、どこに。w
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2005年08月30日
本を読んでる途中で
今日、本を読んでいて「おぉ」と思ったひとこと。
生きることに慣れてはいけないんです。
「海馬 脳は疲れない」 池谷裕二 糸井重里 (新潮文庫)
前後の内容があってこそのひとことなんだけれども。びょーいんの待合室でぼけぼけ読んでて、ちょっとずがんと来ましたよ。
まだ序盤だけしか読んでないので、全部読んだら改めて取り上げる予定。
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2005年08月18日
本:袋小路の男
借りた本。
表題作「袋小路の男」、「小田切孝の言い分」、「アーリオ オーリオ」の3作が収録されている。
「袋小路の男」は、袋小路に住む、作家志望の男に恋する女性の一人称で書かれている。最初は高校生だった彼女は、作中でどんどん成長していく。いろいろな男と恋愛もするが、結局のところ袋小路の男をいちばん大事に想っている。
「小田切孝の言い分」は、袋小路の男であるところの、小田切孝をメインに据えて、三人称で書かれている。(むかし、同じ話を女の子がわと男がわの視点で描いたコバルト文庫があったよーな気がする。←読んだことない) そこで、前作の中での男の言動の根本なども明かされていって、ふたつの物語はある意味での決着を迎える。…だと思う。
「アーリオ オーリオ」は、2作とは関連がないので、ここでは脇に置いてみて。
この本、純愛小説として絶賛されているらしぃ。
ところで、ワタクシ、これが純愛だとは、読んでいる最中はまるっきり思っていなかったし、このことばを連想することすらございませんでした。
読後、帯をみて、「へ? 純愛?」と思ったのが正直なところ。自分の中では純愛ということばの定義がなされていなかったので、改めて考えてみたのだけれど、やっぱりこれが純愛とは思えない。
私には、このふたりは、性的な関係のない、ゆるやかな共依存。に思える。必要以上には関わらない関わらせない。それでもそこにいないとやだ。ピンチのときには頼りにする。体の関係は他の男としてみたりする。という。。
作者のひとは、これが純愛だと思って書いたんだろうか? 物語としては、こういうのもアリだと思うしあるかもしれないとも思わされる。んーでも、純愛としてもてはやされてるってことに、違和感が。。
主人公の女性にはいろいろなところで共感はできる。惚れた弱みという部分からくる発想や、自分に対する束縛もわからないでもない。ただ、ワタシ的には、「顔が好き」から始まった恋愛が、12年引っ張れてしまうというのがわからない。もはやこの恋(?)は、幻想か妄想ではないかとすら思ってしまう。(まぁフィクションだからいいっちゃいいんだけど)
1作目では延々と彼女の考え方や生き方が書かれ、2作目で彼が何を思っているのかが示される。思い違いも含めて、まぁ、こんなことってあるよね。とも思う。
過去のできごとも進行形でひたすら「あなたは〜」と語らせるのは面白いと思った。…けれど、この手の恋愛小説は自分には向かないなぁとしみじみ思った。や、それなりに面白く最後までだーっと読んじゃったんだけれど。なんというか。。
ところで、「アーリオ オーリオ」は、面白かった。
立ち読み推奨。ただし、科学(天文)に興味がないひとがどう思うかは保証しませんw
ただ、おじさんの恋愛遍歴は、無理矢理押し込んだような気がして仕方ない。この話だけじゃ、素敵な受付嬢が、彼の何がよくて押しかけてきたのかさっぱりわからないではないですか〜。おじさんの価値観やものの考え方は、他のできごとで代用して、姪っ子との関係や姪っ子自身の変化にもっと焦点が当たっていた方が自分としては好みだったかなぁ。と。
この本が想定している購読層ってどんななんだろう。
ふと思ったけれど、こういう本が自分的にあまりウケないのは、根本的に、自分が他人の恋愛沙汰に興味がないだけじゃなかろーか…。
(身近でリアル進行してる場合は無関心ではないのよーw)
もうひとつ。これはなぜなのかさっぱりわからないけど、日本の文学賞の類いに、全然権威を感じない。ヒューゴー賞やネビュラ賞受賞作の方が気になるというのは、我ながらどうかとは思っている。が、修正不能。
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2005年08月07日
絵本:ずーっと ずっと だいすきだよ
ハンス ウィルヘルム(評論社 児童図書館・絵本の部屋)
犬猫関連の仕事をしている(動物病院勤務ではない)友達が読ませてくれた絵本。彼女はペットロス関連でこの本を知ったとのことだった。
自分としては、亡くしたひとよりも、亡くす前のひとに読んでほしい。もし、亡くしたひとが、その子にだいすきだと言ってなかったら、それは却って傷になるんじゃないかなと思ったのだ。…て、そんなことは、滅多にないのかな。一方で、いますぐにでも、自分が大事にしてる子に、だいすきだよって教えてあげて欲しいから。
物語の主人公は男の子。エルフィーというわんことともに大きくなった。わんこは先に老いるので、男の子が成長する段階で死を迎えてしまう。家族みんなが悲しみに暮れるなか、ぼくにはひとつだけなぐさめがあった。それは、エルフィーに直接、「ずーっと ずっと だいすきだよ」と言っていたこと…
犬を亡くしてものがたりが終わるわけではない。大事なエルフィーを亡くしたあとの「ぼく」の気持ちや行動に対して、こちらの気持ちが動く。
相手は犬やねこに限らない。大好きだよって言える間に、きちんと伝えておこうと思う。
言える時間は、決して永遠ではないから。
子供向けなので、「犬の死」として描かれているだけで、もし対象が自分の死を考えられるだけの大人であれば、死ぬのは自分であってもこの物語は成立すると思ったりするあたりがなんというか。自分が死ぬなんて普通考えないかな。
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本:月は無慈悲な夜の女王
ハインライン(ハヤカワSF文庫)
以前から読みたいー と思っていた、ハインラインの長編。ヒューゴー賞受賞作。
タイトルは最後まで読み切っても実を言うと理解できず、解説を読んでようやく納得できるという…。
月は地球の流刑地であり、小麦の生産地としての植民地という時代。特産(?)である小麦も安く買い付けられ、そのうえ地球による圧政に苦しんでいる。その月世界人の3代目、コンピューター技師(でいいのかな?)のマヌエルが主人公。月世界行政府政庁の計算機室というところにいって、月世界を管理する計算機を直したりもする。そこで、そこの計算機と友達になる。なんたって、その計算機は自意識を持っている。…そして急速に彼(=マイク)の自意識は成長しはじめる。どの笑い話が面白いかも追及せずにはいられないほどにw
マイクに頼まれて、マヌエルはある集会に潜り込む。そこで行われていたのは、革命を前提とした集会。そこへ行政側の長官の護衛兵がなだれこみ、死者を出す騒ぎになる。集会で再会した友人を護衛兵に殺されたマヌエルは、マイクと共に革命に巻き込まれ…… (巻き込まれるというか、なんというか)
最初はくだらないジョークひとつひとつにこだわるマイクが、革命という現実に対峙して、もうひとつの人格も形成させながら、ものすごい勢いで成長していくのも面白い。一方で、月という、地球とは比べ物にならない特殊な環境で、育っている文化、ものの考え方も面白い。圧倒的に女性が少ないことによる家庭と結婚の在り方、法律が存在しないこと、1/6Gでの戦い方、などなど。ひとつひとつを掘り下げていくと矛盾がでるのかもしれないし、政治的な考え方も多くて、小難しい部分も多々出てくるのだけれど、キャラクターや物語に引っ張られていって、そんなこと気にならない。
そして最後は、なんだか切ない。(ぅぅ、さすがハインライン。
何よりも、この物語が書かれたのが1966年に書かれたというのがすごい。と思う。舞台は2076年で、お話の中ではプログラムの保存にメディアみたいなものを使わず、延々紙でプリントアウトしちゃったりするけど、それでも、これが60年代に書かれた物語だと思うと。うわぁ。
某所で他の本と平行しつつ読んでると書いたけど、そんなこと全然気にならないほど、「本を開いたらあっという間にその世界に浸る」ことのできる物語だった。
SF熱が、再燃するかも。な予感。
ところで。
ついさっき、本屋さんで付けてくれたカバーが外れて、初めて表紙を見た(買う時に表紙を見てないw)わけですが。なんか、怖いですよコレw。しかも、描く前に内容を読んでないんじゃ…。
もうひとつ。21刷にしては誤植多すぎな感じ(登場人物の間違い含め、3〜4個所ありましたわょ)
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2005年07月21日
本:ナラタージュ
島本理生(角川書店)
借りた本。
文体に慣れるまでに50p。
話半ば、物語上のできごとにより、主人公にまるっきり移入できなくなる。
それでも読み続けて、一気に読んだ。
ひっぱりこまれていたのだと思う。
やっぱり帯のアオリって信用できない。と思ったのが第一。
その後、あれこれと思いを巡らして。
「私」に完全に移入できるなら、のめり込んで読めるだろう。そういう意味では、若いひとに支持されるというのはわからなくもない。物語上では姿さえもほとんど出てこない、それでも重要人物にとっての重要人物のことまで考えはじめると、自分にとっては乾燥した物語になる。
とはいえ。自分として気になったのは話の設定であって、作者がこの若さでこれだけの長さの物語を書き切るのは素晴らしい才能なんだと思う。若いながらの文章のクセが妙に気になったけど、それはこの際仕方がないのかなぁ。
一方で、書き留めておこうかという文章も、2ヶ所ほど。うんやっぱ、すごいんだと思う。
さてネタばれです。
前提がどのようなものであっても、奥さんとよりを戻して、それでも好きと言われればそれがウツクシイ思い出になるってーのが理解できないのよ。というか、私に理解できるわけがないのですょ。
や、実体験を踏まえて〜だけじゃなくてですね。
自分がハタチのころ、優柔不断をやさしさだと言い切った男に遭遇したことがある。そんなのは自分勝手で残酷なだけだとケンカした。(ケンカしたんじゃなくてほんとは怒鳴りつけたんだけどw)*
このセンセイのやらかしたことというのは、そういうことじゃないのかしら。
「私」から視点を外して、センセイや奥さんの視点からこの話を再構築してみる。
うーむ。
多分自分が、この手の「曲がったこと」に嫌悪感を持っているんだな。という結論に行き着いた。
教え子の弱みにつけ込むような形で寄りかからなければ病んでしまうなら、病んでしまえ。と思う(←センセイの同年代の人間としてだなー)。教え子の一生を曲げるようなことをしでかすんじゃーありません。
少なくとも、若いころのレンアイは、唯一にはならない。私にとっては。
というところから違うから、しょーがないのかもしれないが。
高校生のころ、私にあったのは教師への不信だった。
というところからして、移入できるわけないじゃん。という気もするが。
…や、自分だって、レンアイのたびに毎回、次のことなんて考えられないくらいにはのめり込んでいるわけですょ。終わったら終わった。って、脳裏から薄れはじめるだけで。(薄れるのが「ものすごい勢いで」ってだけで)
ところで、ナラタージュということばを知らなくて、さっき初めて辞書を引いた。
このタイトルだと、もうちっと突き放した書き方をしてもよかったのかな。と思った。
なんだかんだ言ってるけど、ここに書いてある以上のことをたくさんたくさん考えてみたりしたわけで、少なくとも自分にとっては読んで損になるような物語ではなかったのだと思う。
読み終わって痛かったのは、膝と口のあたり。それが、主人公から少し離れた辺りに気持ちが流れるきっかけになっていたのかもしれないと思ってみる。
で、ここを書こうとして初めて書店を見た。
…そうか、角川か。と思った。(偏見か
こう思い返してみたら、その当時で、キレるほどには親しくなっていたんだな。
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2005年06月27日
本:ヒトのオスは飼わないの?
米原万理(文春文庫)
ロシア語通訳の著者のみのまわりの、わんこにゃんことにんげんの物語。
変に万人受けしやすい(?)タイトルにするよりも、ストレートに猫好き・犬好きにアピールするタイトルの方が受け入れられやすいんじゃなかろうか。現に、最初の章と後日談で無理矢理タイトルにくっつけている感じもする…。
てのが第一印象。
かかりつけの獣医の言動には納得のいかないところも少なからずある。獣医もそれぞれあろうから、それでフィクションとは言いかねる。ただ、何にしても、古いタイプのセンセイなのには違いない。…んでも、投薬量の中にはツッコミを入れたくなるところも…。
とかなんとか言いつつ、口絵のわんこにゃんこ写真に悩殺され、無理と道理(ねこ)との出会いの顛末にはほろほろし、と、すっかり飲み込まれた。フィクションを元にした物語の一種だと捉えているんだけれど、それでも充分たのしめた。
でも多分、二度は読まない。(ネタばれ含みますょ)
ケンカする子を外に出していたら、FIVに感染するのは当たり前のことだ。かかりつけがそこを注意しないとは思えない。フィクションを多分に含んでいたとしても、この子がそういう一生の終え方をしたのは間違いないと思うし、どこかで6ブロック先のお宅の猫がFIV感染でばたばたと亡くなったとも書いているのだ。それを承知で出しているのだから、とも思う。
感染の拡大を防ぐために外に出さないと言うなら、リスクの高い生活をしているうち、発症する前から感染の有無を定期的に調べるべきだ。FIVは猫同士のグルーミングでも感染する。感染の拡大は屋外だけで行われるわけではない。同じ理屈で物を言うなら、仲のいい同居ねこからもその子を引き離さなければならなくなる。
それでも、発症して感染が発覚するまでは、外に出してしたいようにケンカさせるのがいちばんなんだろうか。この辺は飼い主それぞれの考え方によると思う。答えはひとに押し付けられて決まるひとつではない。ただ、ねこ自身には、ケンカをしたら治ることのない病気になるリスクがあるなんてことをわからせるのは不可能だということが前提だ。彼らはそのリスクを承知で出て行くのではない。
いやそんなことは内容とはあんまし関連がないんだけれども。
話に出てくる、主にマイナスの部分で、自分が出会った子たちとダブってしまった。こんな亡くなり方をした子、行方不明になった子、拗ねて家出した子。たくさんたくさん。たのしんだとはいえ、読んでる最中も読み終わってからも、本文の進行とは関係なしに、頭のどこかで自分のまわりにいる/いた子たちのことを考えている。
まぁ、職業柄、こういう本は、ふつーのひとの読み方はできないんだと思う。しょがないわな。
余談ではあるのだけれど。この著者の他の本は、読んでみたいかなと思っている(めもがき)
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2005年06月21日
読みたい本があるときに
あの本読みたいぃぃーっ と熱烈に思っている間や、どんな話なんだろうと妄想を膨らませている間が、いちばん楽しいのかもしれないなぁ って、思った。
こういうのを恋というんだろうか…
や、妄想を広げてないで本屋さんに直行すればいいんですけどー。読んでつまんなかったらがっかりだしー。
本屋さんでもっと散財してたころは、背表紙と目が合った気がする本を買えば良かった。でも、制限をしている今(借りてる本も読み切れてなーい)、何かが鈍っているのか、書棚の間を行き来しても、背表紙に呼ばれてるような気がすることが少なくなった。呼ばれてる気がしても、ハズレることもある。
かなしぃ。。
投稿者 chi : 23:44 | コメント (0) | トラックバック
本:問題な日本語
(北原保雄編 大修館書店)
一時期流行っていた(気がする)本。
興味がありながらも、長らく購入しなかったのは、「タイトルがきらい」という単純な理由の他、「変な日本語に接したら、そのまま吸収しそう」という、おばかさんな危機感もあった。
が、気が向いて購入。
ひじょーに読みやすい。
でも、途中で行き詰まって、長らく他の本に逃避していた。
編者を見ると、国語辞典の編集委員でそのまま作った本。という感じ。おかしいと思われる日本語をとりあげるという着眼は面白いんだけど、何しろ読んでいてキレが悪い。生きていることばを扱っているのだから、一概に「これは間違い」と切って捨てることはできないという判断もあるのだろうけれど、タイトルから連想した、「あぁそうかー」ってすっきり感にあんまり出会えない。
また、一般人が現在どのようなことばを使っているかという情報も提示するのだが、それに「インターネットを検索すると」と繰り返し出てきた部分があった。編者の個人差もあるようだが、この辺で腰砕け。自分としてはネット上はことばがもっとも崩壊する場所だと思っている(2chコトバから派生したあれやこれやは、一種のネット方言だと思っている)。口語の乱れ方とは違うし、口語でそのまま書くひとは比較的少ないように思う。一方で、文語とまでいかなくても、口語とは違う文章ことばで書くひとも少なくない。そのしっちゃかめっちゃかの中を検索したのか…と思うと萎えてしまいましたとさ。
自分が正しいことばを使っているわけでもないので、発見があったりなかったりという部分もあった。のだが。トータルで見ると、いまいち。
あぁそぅそぅ。「ふいんき」って書くひと、多いんですって。しかも、これに関して書かれている文章のキレの悪さったら、いらいらしちゃうほどなのでした。
読めない漢字や、自分が読みを間違えているらしい変換できない漢字にであったとき。パソコン使用中だったら、とりあえずその漢字を何かしらの方法で入力して、再変換すればよいではないかーと思ったりするのですがどんなもんでしょう。
投稿者 chi : 23:16 | コメント (0) | トラックバック
2005年06月17日
まんが:失踪日記
吾妻ひでお (イースト・プレス)
借りた本。
このひとの漫画はあんまり読んだことがないのだけれど、以前友達の日記に取り上げられたのを読んでから気になっていた。違う友達のお宅でお勧めされて、喜んで借りてきた。
家族から見たらほんものの失踪。捜索願が出されているにも関わらず、続けるサバイバル的路上生活。ゲイジュツ家にありがちな(?)追いつめられる精神状態。アルコール中毒。病棟でのエピソード……。
らもさんファンには、違和感なく受け入れられてしまうわけなんですが。(や、らもさんの話に路上生活はなかった気がする)
なにしろ漫画なもんだから、ビジュアルで訴えかけてこられるというのがスゴい。彼のファンであれば、実際に崩壊していく過程・立ち直ってくる過程で描かれた作品を見比べて、思うところもあるのだと思う。
悲惨にならないように描かれたとのことで、雰囲気にはお気楽なムードが漂っているのだけれど、よくよく想像しながら読むと、相当に重い。ような気がする。
今は、借りてきて、一度ざっと読んだばかり。今度また改めて読みたいと思っている。読むたび少しずつ違うものが見えるんじゃないかな。
投稿者 chi : 21:58 | コメント (0) | トラックバック
2005年06月06日
本:フューチャー・イズ・ワイルド
ー驚異の進化を遂げた2億年後の生命世界ー
ドゥーガル・ディクソン & ジョン・アダムス(ダイヤモンド社)
…借りた本なんですが。
もうね、表紙からしてたまげますよ。なんですかコレは。って、飛ぶおさかなっていうじゃないですか。しかもこんな顔なんだもの。びっくりですわよ。
500万年〜2億年後の地球と、その世界に棲む生物たちを予測している。途方もない未来の話ではあるものの、飽くまで可能性の枠内になるよう、専門家たちにアドバイスを受けたという(当然のことだが、予測にはある程度の「ルール」が存在する)。過去から現在に至るまでの地球とその環境と、そこに棲息するいきものたち(人間も含む)を前提に予測が行われている。
この本では生物学的、地質学的な用語に細かく脚注がつけられ、非常にわかりやすい。イラストだけを見ると途方もないとしか思えないいきものにも、どういう役割があって、現在のどの動物の代替となっているのかも説明される。地球の変化に伴う、環境の変化。それぞれの環境にどのように適応し、進化していくのか。その考えを追うのは非常に面白い。
…が、やはり、この本の中にいるいきものたちはどれも途方もない想像のたまものに見える。人間はとっくに滅び去り、何度も大量絶滅を起こした500万年後、1億年後、2億年後なんてのは、とてもじゃないけれども凡人であるところの自分には、「予測する」作業すら想像ができない。
や、予測された結果を読んでみたって、その通りになるのかどうかを確かめる術なんてない。でも、真剣に語られちゃうんだから真剣に読んじゃう。楽しい。
序文、目次から真剣に読むのもいいし、イラストを中心に見ていくのも面白い。地球がこの先、どんな変化を起こしていくのかを追っていくだけでも充分に楽しめると思う。読み方や興味の持ち方はひとそれぞれなんだろう。
この本で出てきたいきものの完全図解って本もあるので、そのうち立ち読んでみたいと思う。(あ、こういうときに図書館を利用すればいいのか)
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2005年05月23日
本:ウーザック沼の死体
シャーロット・マクラウド (扶桑社ミステリー)
シャンディ教授の続き物。前作までは創元社だったような気がするのだが…と思いつつとりかかる。なにしろ、前作はミステリ読むつもりがファンタジーだったしー。
今回は今まで通り、大学周辺での殺人事件。ちょうど大学の催し物の最中に、沼から死体があがる。大学の創始者を含むバギンズ一族の古文書の中にかかれた通りの殺され方で…
というユーモア・ミステリなのはいい。でもなにがなんでも、パラクラヴァ農大の教授である主人公が家畜の複数形に「ども」(ex)牛ども 豚ども)っていうのはあまりにも違和感。そうではないですか訳者のひと。
前作から引き続き、作中での作者は異なるものの、詩文づいているシャンディ教授。一方事件の結末は。自分的には、読む最中に主人公とともに推理をしようというキモチが薄いからか、なかなか意外な展開。
…そして、登場人物がたくさんすぎて、全然覚え切れないのょワタシはーっ(泣:その中にアヤシイひとが混じってたりしてても覚えられない。全登場人物をリストして欲しい今日このごろ…
投稿者 chi : 21:56 | コメント (0) | トラックバック
2005年05月20日
本:オオブタクサの呪い
シャーロット・マクラウド(創元推理文庫)
シャンディ教授の第5弾。
イギリスのウェールズ地方にオオブタクサが大量発生。撲滅のために、シャンディ教授、エイムズ教授、ストット(…は教授だったっけ?)の3人が出かけたものの、現地調査に旅立ったら。ら。 あらら?
てなことで、舞台は中世ウェールズへ。もうすっかりファンタジックな世界。
夢オチだったらどうしよぅ。という心配をよそに、物語はどんどん進行していく。魔術めいたものは顔を出すものの、魔法でどうにもならない展開にもならず、シャンディ教授が王子の死の謎に迫るくだりは種も仕掛けもない推理小説仕立て。
一方では、今までには見られなかった、吟唱詩人としてのシャンディ教授の腕を見ることができる(洞窟で踊り狂うあたり、ぜひとも映像化していただきたく…)
今回、心に残ったひとこと。
「自由というのは、仕事にあぶれるということなんですね。」
…何か間違ってるのかもしれないけれど。
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2005年05月13日
本:彼女は、なぜ人を殺したか
福島章(講談社+α文庫)
「精神鑑定」の方法を、その第一人者が明らかにする。
裏表紙にこんな感じのことが書いてあった。表紙には著者の名前の脇に「精神鑑定医の証言」とあったので、てっきりすっかりノンフィクションだと思いこみ、確認せずに購入したら、フィクションだった。
うーん。(ネタばれしますよ)
著者の意図と、煽り文句が合ってない。これは物語であって、現実ではない。現実味がないということではなくて、精神鑑定を考えるうえでは無関係なエピソードが、物語だからこそ含まれている。それが、単純に精神鑑定に興味を持って、この本を手に取った読者にとっては邪魔になる。…と思う。精神鑑定がどういうプロセスで行われるのかという目安にはなるけれど、フィクションだと謳っているので、本来の過程が描かれているのかどうかはわからない。精神鑑定医と学生の恋愛沙汰に至っては、被告の生き方に影響されたという理由付けはあるものの、印象としては“無理やり”。挿入する意味はないように思えた。
もう一点。視点は、精神鑑定医と、被告の間を行き来する。
精神鑑定医であることが(読者にとって)明確である著者が、被告の一人称(しかも女性)で物語るのは、ちーと無理があるように思う。
一方、鑑定とはまた別の話になるのだろうが、男性の脳と女性の脳の発生学的な違いからくる性質の違いについてのエピソードなどは、非常に興味深く読めた。
他にも著書があるようなので、また手に取る機会があれば、今度は確認してから読んでみたい。
精神鑑定に興味があったのではなくて、古本屋さんで目に付いたってーのが理由なので、また手に取ることがあるかどうかはわからないのだけれど。
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2005年05月03日
雑誌:ねこのきもち(創刊号)
…まだ全部読んでない(笑)
話題(?)のトートの他に、アイムスのドライフードのサンプルも入ってました。ありがたくいただきまふ。
全部読んでないのでなんともーだけど、たまに「?」を感じる記事もありはするものの(Iセンセィ、迷走中なんじゃないかとちょっと思ったりするけどそんなことないのかな)、そこそこ面白い。猫砂の細菌数繁殖実験は、自分では出来ないからなかなか興味深い。けど、どうせやるならもちっと深く突っ込んでほしかった。(注:ワタシは学生時代、微生物の研究室にいた)。
購読者特典などなどあるらしいけど、まだちゃんと読んでないので、これから。
雑誌単価については、犬ほどたくさんは出ないのだろうから、仕方ないのかな。て感じ。それほど高いとも安いとも思わない。てところでしょうか。
創刊号ということと、「これから読者と作っていく」という姿勢があるってことで、今後に期待してみよぅ〜。
あ、オトモダチに購読を紹介すると、双方にミニタオルプレゼントらしいので、これから購読しようかしらと思ってる方はご連絡くださいw (でも、悶絶しそうにかわいー! て感じじゃ〜ないです。イラストなのよー)
投稿者 chi : 22:58 | コメント (0) | トラックバック
本:援助者必携 はじめての精神科
春日武彦 (医学書院)
私の状況を知っているひとが、貸してくれた本。
こころのやまいに罹っているひとに、援助者として直接関わっていくひと(保健婦さんなど)のために、精神科医が書いたもの。この著者の本は過去に一般向けのものを読んだことがある。
こころのやまいについては、興味本位で終わらせられない事情もある。それでも、知らなかったことをたくさん吸収することが出来た。患者本人だけに問題があるわけではないケースなど、考えさせられることも多い。客観的に物を見られる状態でこの本と出会えたのは幸運なのだと思う。
また、こころにやまいを持っていることはさておいて、ひとと対峙するときのものの考え方やものの捉え方には、自分が仕事に向きあうときに役に立つであろう内容もたくさん含まれていた。活かしていく方法も考えていきたい。
ひとのこころのやまいと対峙する仕事は、本当に重い仕事であると思う。患者にとっていわゆる「名医」が少ないのも、医者とは言え、人間であるが故ではないかとも考える。
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2005年03月15日
本:猫が死体を連れてきた
シャーロット・マクラウド(創元推理文庫)
シャンディ教授シリーズの4作目。ここでも何度か取り上げているけれど、アメリカのマサチューセッツ州の片田舎にあるパラクラヴァ農大とその周辺が舞台。田舎だからか、「……のまたいとこの義理の妹の……」なんて血縁がわんさかと出てくるので、人名をしっかり覚えられる読者でないと、新しい登場人物がどこの家系の某なのか、さくっと理解するのは困難かもしれない。
それはともかく今回の物語。農大の名誉教授。でも、なぜ名誉教授? というほど好かれてない人物が事故を装って殺される。平行して起こっている政治絡みの問題に農大が巻き込まれてスヴェンソン教授を悩ませている。
事件を完全にメインに据えたら、もっと長い物語になると思われる。推理そのものを楽しむ物語ではなくて、登場人物それぞれが自分の味を出しているのを楽しむ物語なもので、その辺はさておき。
前作に引き続き、新しい登場人物である、猫のエドモンドが重要な役割をしている ……ように見えるのは私だけかもしれない。今まで単なる役立たずという位置にいたオッターモール署長がいい味を出してきているのは、これからのシリーズに大きな影響を与えてくるんだろう。
「パラクラヴァの植物」と題した解説がとても興味深かった。知識があると、作中の情報以外にもたくさんの想像を広げることが可能なんだぁなぁ。。
ごろごろしているうちに読んでしまった。こういう動けないときには、どう頑張っても専門書系を読み続けられないというのが、もったいないような仕方ないような…。
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2005年03月08日
本:時間泥棒
J.P.ホーガン (創元SF文庫)
ニューヨークの時間の進み方があちこちでおかしくなりはじめた。時間の進み方が遅くなっている。しかも場所によって進み方が違ってきている。原因は不明。 …という状態を捜査しなくてはならなくなった市警の刑事。時間が盗まれているという仮定のもと、物理学者だの宗教者だのなんだのに話を聞いて回るハメに。その間もどんどん時間は「なくなって」いく。。
てな感じ。時間の進み方が違うことが、何にどんな影響を及ぼすかってーことが、素でいくつも挙げられるひとは、楽しめるんじゃないかと思う。何がどうなっているのか、完全に理解しなくても物語は楽しめるのだと思うし、物語の中で説明もされていないのであまり重要ではないのだろうけど、理屈に頭を悩ませているうちに話が終わってしまったような印象で、ちょっと空振りー。
面白そうな本を借りたので、こちらを先にやっつけてしまおうと頑張って、ちょっと失敗だったかも。こういう気分のときにSFを読むなら、ハインライン(というよりクラークか)の方がいいかもなぁ。
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2005年03月03日
本:ヴァイキング,ヴァイキング
シャーロット・マクラウド (創元推理文庫)
シャンディ教授の3作目。ルーン石碑のまわりで起こる事件。これってバイキングの呪いー?
てなことで、血縁関係がいーっぱいでてきて置き去り気味。読み返し巻き返ししながらではあるものの。いつもの雰囲気で楽しめる。謎解きとは違うところに楽しみがある、ユーモア推理小説。というカテゴリ。
…102歳と105歳の恋愛の行方も楽しめる(笑) 外国人のため、ことばが不自由なスヴェンじーちゃんが色ぼけ気味。
気持ちが不安定気味のときにでも、しんどくなくすんなり読めるのがいいとこかと思う。スヴェンソン夫妻が2作目あたりからお気に入りかも。トールシェンドのうなりを生で聞いてみたい。
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2005年02月18日
本:蹄鉄ころんだ
シャーロット・マクラウド(創元推理文庫)
ひさびさにマクラウド。シャンディ教授2作目。マクラウドを大量に借りてきていたのに長らく放置してしまった。もったいないもったいない。
物語は農大の近辺で進行する。大学の近辺に、職員も学生も住んでいるパラクラヴァ農大。主人公のシャンディ教授、冒頭からいきなり事件に巻き込まれ、奥さんのヘレンが人質に…! と思う間もなく解放され、うちに帰って慌ててお客を招いたお食事にこぎつけたと思ったら、また新たな事件が。今度はお客(教授)の研究対象の雌豚が誘拐され、もうひとりのお客は無残な姿で……。なんて展開。
「ユーモア・ミステリ」の分類なので、それほど陰湿な感じはしないのだけれど、殺人事件の被害者は、けっこう大変な状態で亡くなっている。えぇんかいな。
ともあれ、随所にキャラクターに関するエピソードとおいしそうなものが登場し、飽きさせない。本格推理ではないものの、だからといってスジが丸見えというわけでもなく、楽しく気軽に一気に読める。あぁ、続編、いつ読もう(ちょと楽しみ)。
…休日の夜は、これを読んで終わった模様です。(ハインラインの本で読んでみたいものが浮上。一方で、ホーガンの本も読んでる最中… そしてどっちもSF。最近傾向がないなぁ)
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2005年02月13日
本:ガリア戦記
カエサル 國原吉之助訳 (講談社学術文庫)
ちまちまちまちま。
「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前」(塩野七生 新潮文庫)と比較しながら。
ちまちまちまちま。読み進めておりました。
カエサルは物語を書こうとしたわけではないし、原本が現存するわけでもないし(訳者は本当に大変)、「史料」であるからして、読みやすいわけないんだけれども。それでも、物語をしっかり理解するには非常に役に立った。史料だけあって専門語の解説もある。その年その年、どこに行ったかという地理上の移動は、ローマ人の物語が1年ごとに図を付けているのでこちらもわかりやすい。一方で、ガリア戦記には人名の索引もある。「ガリア戦記」はあくまでガリア戦記なので、そのときのローマで何が起こっていたのか、ローマ(元老院)でカエサル自身がどのような立場に立たされていたのかなど、背景を知るには「ローマ人の物語」が必要になると思う(こちらは物語なので、筆者の私見もかなりはさまってくるのだと思うけれど)
やぁ、時間はかかったし、言い回しに慣れなくてよく寝たしw,同時進行で違う本もいくつか読んでいたけれど。
でも、面白かった。両方を読んでみた甲斐はあったと思う。ガリア戦記の解説では、訳者の考えも読めるので、塩野氏の描く物語と比較することも出来る。
…さて、「内乱記」(カエサル)はどうするかなぁ。。。
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2005年01月13日
本:また、つかぬことをうかがいますが…
ニュー・サイエンティスト編集部編(ハヤカワ文庫)
ひさしぶりにSFでも読もうかしらと物色していて目に付いた。著者のところが怪しい名前に見えたもんで、まえがきを立ち読みしたら、イギリスの科学雑誌の名前だという。科学雑誌に投稿された「疑問」に、「回答」が投稿されてくるというコーナーの抜粋なんだとか。続編ということで最初のを探したけれど、そちらは見つからなかった。内容が続いてるわけじゃなし、まぁいっかと購入。
「科学者も居留守を使う98の質問」というサブタイトルは大げさかもしれないけれど、こういうの、大好き。オトナの素朴な疑問や、コドモの鋭い質問、専門家による詳細に至る回答から、すかした回答。などなど。一問一答ではなく、一問にいくつかの回答もあったりする。
半分くらい一気に読んでから、ストップ。
もったいないもったいない。
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2004年11月26日
最近読んでる本。
「ローマ人の物語」(塩野七生)の、ユリウス・カエサルの巻(全部で6冊かしら)を読み終わってから、カエサルが書いた「ガリア戦記」を読んでいる。
ガリア戦記は、地図の他に、挿し絵のある簡便な辞典のようなものもついていて、理解の補助になる。ただ、読みやすさを重点において翻訳されたものではなかったり、根本的に一般読者だけが対象というわけでもないので、それだけだとわかりにくいところもある。
てなことで、結局、ガリア戦記で1年目(1巻分)を読んだら、ローマ人の物語に戻って、該当する部分を再び読んで…という進行。ローマ人〜の方は、その年々でどのような行程をたどったかというのも地図にわかりやすく表示されているし、おおもとの参考文献にガリア戦記が含まれていて、塩野氏自身による訳もある。
ガリア戦記も面白いと思うのだけど、一巻分(今の小説での一章分くらいの感じ)を読むと必ず眠くなってしまうのはなんなのだろう。そう訴えると、それはほんとに面白いの? って聞かれたんだけど、やっぱり面白いのよ。
…あれー?
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2004年11月13日
がまんできないもの。
本の帯。
存在も、そしてだいたいにおいて、その内容も。
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2004年09月30日
本:博士の愛した数式
小川洋子(新潮社)
借りた本。
店頭で見たとき、売れているのだなと思った。そしてすっかり、数学系の本だと思い込んでしまった。貸してもらっても、すぐに読みはじめなかった原因はそこにある。
ものがたりだった。
抜群の数学的センスを持ちながら、若いころに交通事故に遭い、数十分の短期記憶しか保持できなくなった博士。義姉の住む家の離れに、年老いてひとりで住んでいる。
そこに家政婦として雇われる主人公。その息子。
恐らく、巷にはこの本のレビューが溢れているのだろう。
短期記憶しか保持できない場合、人間がどのような行動に出るのかということはこの際問題ではない。
主人公が数学に魅かれていくさまに、自分自身が博士のようなひとに出会っていたら、こんな数学との出会いをしていたなら、人生が変わっていたのではないかとも思えてくる。
数字、数式の美しさを語ることのできる作者が、一方でそれぞれの感情を描く。主人公の冷静な目が、静かな物語の真実味を増しているような気がする。
何をどのように書けばいいのかわからない。ただ、すてきな物語だと思う。
ハッピーエンドであるのだけれども、それでも、泣けた。
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2004年09月11日
本(comic):海猿
佐藤秀峰(小学館) 全12巻
借りた漫画。こういう傾向のは久しぶりに読んだ。
夏に映画になったようで、ダイジェストだかメイキングだかの番組を見かけた。映画は漫画のほんの一部を、エピソードを借りて出来上がったって感じなのではないかと思った。
海上保安庁で、作中で潜水士になる男の子が主人公。
状況が状況だけに …というか、それ以上に死人がたくさん出るので、読める気分のときじゃないと読めない。
青臭い前半に比べて、ベテランとなっていく後半は緊迫感がさらに増していく。
最後には、飛行機事故。。
手元には置かない。
それでも、読んだってことを、書き残しておいてもいいかなって思ったんだ。
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2004年09月09日
本:とらちゃん的日常
中島らも(文春文庫)
当時猫をどうしても飼いたくなった理由。エピソード。そこからはじまるらもさんの周囲のお話。いつものエッセイではあるのだけれど、ここ数年らもさんの本をやや敬遠気味だった自分には少しばかり新鮮でもあり懐かしくもあり。
2階の住民でもある猫好きな大家さんとのとらちゃんの愛情を巡る攻防などなど、面白く読める。一方で、多忙から来ると思われる疲れたような文章は、故人となった今、少し悲しくも思える。
ねこの写真もたくさん収録されている。後半になって、大家さんちの子として登場するふくちゃんとのくんずほぐれつだったりなかよしだったりする写真もかわいらしい。
数日前、他の本を読んでいる合間に手に取ってみたら、あっという間に読み終えてしまった。どう書いたらいいのかとしばらく考えていたのだけれど、「おもしろいよ!」と勧められはしないかなぁと思ったりしたもので、ちょと書くのが遅くなってしまった。
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2004年09月07日
本:ガンジス川でバタフライ
たかのてるこ(幻冬舎文庫)
島田紳助がこのひとについて何か言っていたような記憶がうすらぼんやりと残っている。多分何かの番組で見かけたのだと思うのだけれど。
女性の一人旅。しかも行き当たりばったり。取りあえず航空券をゲット。そして宿の予約もない。さらには、現地に着いてからの行き先も決めてない。
怖がりだけれど、ひとりだからできるのだという旅。
その、テンションの高さ、そして勢い。ひとなつこさ。思いきりのよさ。何よりも行動力。
憧れと羨望の思いは抱くけれども、自分にはできるわけがないと思う。
思うからこそ、読むのかもしれない。
20歳の時の初めての一人旅である、香港マレーシアシンガポール、そして第2弾のインドが収録されている。
本を読んでみて、著者が同い年であることを初めて知った。
7日午前(というか、6日深夜)、彼女がゲストとして招かれた対談を見た。
その場を盛り上げよう盛り上げよう、とするひと。
人生を楽しもうとして、ひとも楽しませようとするひとなのかなと思った。