2006年04月06日
昨年暮れ、かなり予後の悪い腫瘍の手術をして、傷の治りが悪かった子がいる。
傷が完全に治るまで。ってことにすると、ひどく時間がかかるから、管理の指導をして、おうちにお帰ししたのだった。
お腹の皮膚が、ぱかんと開いていても、笑顔で元気に歩いていた、我慢強い子なんである。
腫瘍は再発していた。広範囲なのと病理検査結果がひどく悪かったのとおうちのひとの希望で、今度は手術にならなかった。そのうち、片方の後ろ足がひどくむくむようになってきた。循環がおかしいのは明白で。それでも根本的解決ができないため、腫瘍の進行を抑える目的半分で、鎮痛剤を使用していた。
その子が、昨日から鳴き続けなのだと来院してきた。体の大きい子なのだが、もう立てない。お腹に穴が開いてても笑顔だったのに、今度は体位を動かすと歯を剥く。よほど痛いかつらいか両方としか思えない。顔つきもいつもとはまるで違う。
おうちではみられないとのことで(家人にも重篤な病気のひとがいる)、お預かりをした。普段使っている鎮痛剤に加えて、同時に使える薬を、様子を見ながらめいっぱいまで投与したけれども、全然楽になる気配がない。
朝お預かりをしてから、5時間くらい鳴き通しだったろうか。
見に行けばなんとか我慢しようとする。よほど眠いのにつらくて眠れないらしく、顔をなでていれば寝そうな顔になる。それでも、思い出したように鳴く。手を放したらぱっと起きて鳴きはじめる。
ようやく寝たね。と、スタッフと話して、30分もしないうちに、他界した。
つらくて苦しい時間を経て、疲れ切って眠ったところで召されたのだ。と思う。
改善の見込みがないから、あの辛い状態がいつまでも続くようだったら、安楽死を勧めてください。と、院長に話したところだった(院長も同意見ではあった)。おうちのひとがどれだけ大事にしてるか、よくよくわかっている。持病を持つおうちのひとが、ひどくかわいがってるのもわかっている。
それでも、あの苦しみようは。見ていられなかった。
多少の痛みは。人間が考えられないくらいの痛みであっても我慢をして乗り越えて来た子が、あれだけ表情に出して苦しんだのだ。
自然に召されたこと、辛いのが半日あまりだったことは、仕合わせであったのだ、と思いたい。
おうちのひとは、安楽死は躊躇しただろうから。
持病を持つおうちのひとは、痴呆もはじまっている。安楽死に一度納得と同意をすることができても、あとでまた他のご家族にいろいろと訊いただろうから。
昨年末から、長々と入院してた子だ。どんなにいい子か、我慢強い子か、あまったれな子か、わかっている。どれだけ大事にされてる子かわかっている。病院で亡くなってしまったのは、ほんとに辛かったと思う。
意識がしゃんとしている間の顔は、辛くて苦しくて、いつもとまるで違っていた。
亡くなってからの顔が、とてもとても穏やかに見えた。
ほんとに。楽になったのだと思う。
泣けてくるよ。
投稿者 chi : 2006年04月06日 00:27
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