2005年03月28日
医療の知識って
あったほうがいいのか、
なかったほうがよかったのか、
ときどきわからなくなる。
身近なひとに迫りくる死に直面したときはなおのこと、
自分にある技術が人間に向けてのものではないので、
何が起こっているのか確実に理解していたとしても
できることはなにもない。
自分の経験や患者に重ね合わせて
どこまでも思考する。
考えれば正しい結論が見いだせるわけでも
突破口が見つかるわけでもない。
それでも考える。考えずにはいられない。
つらいところにいるひとがいる。
割り切るのが正しいことだとは思わない。
つらいきもちを乗り越えたら、
ほかのだれかに優しくしていけるんじゃないかと、
それだけでも、乗り越えた証になるんじゃないかと思う。
見送るひとの気持ちは、経験しないとわからない。
いまがどんなにつらくても、自分で乗り越えていくしかない。
どんな経験でも、受け入れることができれば、無駄にはならない。
早く元気になれますように。
…いまの自分、よっぱらってるけどな。w
投稿者 chi : 2005年03月28日 23:32
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://hima.main.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/273
コメント
義父が病気のとき。祖母が病気のとき。知識があったら
すべてを教えてくれたのだろうか、と未だに思うことが
あります。
亡くなってしまった後になっても。いつどの時点で医師は
そうなるであろうことがわかっていたのか、わかっていて
あのような措置をとったのか、それが、どういう意味をもって
いたのか。正確なところは、結局伝わってこなかった。
というか、私が直接看護する立場になかったからなんだけど。
専門知識がある人間だったら、それなりの説明を受けられた、
もしくは、それなりの質問を投げかけて答えを得られたのかも
しれない、と、時々思うのです。
知ったところでどうにもならなくても、知らないで接するより
いいのではないか、と、思っちゃうんだよ。
投稿者 まるちか : 2005年04月04日 00:35
お医者の仕事は、検査や治療だけじゃなくって。
病気そのものや治療についての説明も仕事のはずなんですよね。
説明は、本来は検査や治療の前にしなくてはならないこと。
少なくとも私はそう思っているし、そうすべきだと考えてまふ。
だれに対しても「それなりの説明」はなされるべき
…なされなくてはならない。はず。
専門知識の有無なんてーのは関係ないのです。
専門知識のある人間にしか説明できないのは、プロじゃない。
昔体質のお医者は、説明を省いて検査や治療をするようですが、
医療はサービスなもんで、これからは変わっていくだろうし、
そうでない医者は淘汰されていいと思いますの。
わからないことは。訊くべきだと思います。
訊いても答えないような医者は切り捨てるべき。
素人に説明できないような医者は臨床をやっちゃダメ。
(質問をしても答えられない医者や、
説明も無しに次々に検査をする医者に出会っては
病院を変えるワタクシ。
自分の職業を言うことはほとんどありません)
えーと。要するに。専門知識があろうがなかろうが、
きちんと説明を受けられなければならないのだ。ってことが
言いたいわけです(^^;
説明を受けるのが、患者やその家族の権利でもありましょぅ。
…ただ、身内のすべての方に対して説明をするということは
ないと思うので、どのくらい近しいひとにまで話をするのか。
てーのは難しいところだと思います。
人間のお医者は、いろいろと難しいことが絡むから、
そーいう点では本当に大変だと思いますが…。
身内が味方だとは限らないものなぁ。。 (余談
ちょとむちゃくちゃですみませんー
投稿者 chi : 2005年04月04日 21:58